新春浅草歌舞伎

今日は、新春浅草歌舞伎を観にいった。前から一度歌舞伎を観にいきたいと思っていたが、それがなぜ今日行ったかというと、市川亀治郎の舞台挨拶がお目当てだ。市川亀治郎を知ったのは、一昨年のNHKの大河ドラマ「風林火山」で武田信玄役を演じたときだ。初めは、「なんだこの舌足らずの醜男は(失礼!)」と思った。しかし、見ていくうちに、迫力のある演技に釘付けになり、すっかりファンになってしまった。だいたい、俳優というのは、美男・美女、いるだけで絵になってチヤホヤやされるようなのは、容姿に甘えてなかなか演技が磨かれず大成するのが難しいような気がする。

昼の部の出し物は、一條大蔵譚(いちじょうおおくらものがたり)と土蜘蛛。一條大蔵譚は、平家が全盛の時代、京都の一条に住んでいた大蔵卿という人とその妻の常盤御前(ときわごぜん)の物語。常盤御前という人は、源氏の源義朝の愛人として男の子を3人(三男が源義経)授かったものの、平治の乱で源義朝が死ぬと、勝った平清盛の愛人になって娘を産み、その後、大蔵卿の妻になったとされる女性だ。

平治の乱は1159年だというのに、舞台には、髷(いわゆる日本髪)を結った女性や、額から頭の中央をそって著髷を結った男性が出てくる。着ている物も江戸時代のお女中や武士のような装束だ。現在の歌舞伎の原型が出来たのは江戸時代だが、江戸時代にはそのころ着ていたのと同じような衣装で、過去の物語を演じていたのかもしれない。そして、現代の歌舞伎はその伝統を守って、平家の時代の物語でも、江戸時代の装束をまとって演じているのかもしれない。

歌舞伎というのが、演奏付きの歌(長唄)と役者の踊りを見せるミュージカル劇だということも初めて知った。役者はセリフが少なく、どちらかといえば舞が主。長唄の詩は、物語の筋になっている。15分と30分の休憩時間が1回ずつあって、30分の休憩時間には劇場の外に出て食事をとる人もいる。浅草という街は、いろいろと店があって面白い。初めての歌舞伎で、必ずしも楽しめたとはいえなかったが、また来たいと思った。

(髪型については、http://www.cosmo.ne.jp/~barber/kamigata.html を参考にしました)

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ダウンコート

フランスに住んでいる叔母が、元旦に来日した。50年近くパリに住んでいて、その間、数回しか来日していないから、地下鉄の乗り方なんかさっぱり分からない。日本語は話せるものの地下鉄の路線図に小さな漢字で書かれた駅名を読むのは辛いらしい。1月3日、自宅近くを散歩中、携帯電話でいきなり呼び出され、ジャージを着たまま駆けつけて、夜まで案内して歩いた。4日も5日も、夕食をともにして、帰りが遅くなった。

6日に出勤したら、悪寒がして、体がだるい。風邪を引いたらしい。夕方早く帰宅したが、北風がやけに冷たい。内側に毛皮がついたムートンのコートを着ていたのに、それでも寒い。

翌日、秘書に、「ダウンコートって暖かいよね。買おうかな」と言ったら、「そりゃ、暖かいですよ。布団着て歩いているようなもんですからね」と言われた。確かに、四角く仕切られたダウンコートの表面は、羽根布団の表面にそっくりだ。そうか、あれは羽根布団を背負って歩いているのと同じなのか、と思うと、なんか滑稽な感じがする。しかし、寒いときに軽く暖かい羽根布団を背負って外出するというのは、合理的な感じもする。

どうしようかな。買おうかな、ダウンコート。

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ボロボロになりながらも No.3

 第二次世界大戦中にドイツで起きたユダヤ人の大虐殺「ホロコースト」。子どものころから、本や映画やドキュメンタリーで、繰り返し見聞きしてきた。

 小学生のとき、「道徳」の時間に、担任の先生が「アンネの日記」を読んでくれた記憶がある。「アンネの日記」は、小学生向けの推薦図書の常連だし、強制収容所体験を描いたイクトール・フランクルの「夜と霧」もベストセラーだ。

 1993年に公開された「シンドラーのリスト」は、7部門でアカデミー賞を受賞し、1997年のイタリア映画「ライフ・イズ・ビューティフル」も3部門、2001年のドイツ映画「名もなきアフリカの地で」は1部門、2002年のフランス、ドイツ、ポーランド、イギリスの合作「戦場のピアニスト」は3部門をそれぞれ受賞している。

 戦争で多くの人が死んだのは、ユダヤ人だけじゃないのに、なぜユダヤ人ばかりが注目を集めるのか、と昔は少し反発する気持ちがあった。その反発の気持ちがなくなったのは、そんなに前のことではない。5年くらい前に、ワシントンDCのホロコースト博物館を訪れたときには、すでに反発する気持ちは消え、むしろ感謝していた。なぜなら、ホロコーストが大いに宣伝されたことで、人種や宗教や民族などを理由として人を迫害することは人道上の罪であることが、世界の人々のコンセンサスになったからだ。

 もちろん、今でも、人種や宗教や民族を理由の1つとする紛争は世界のあちこちで起きている。しかし、少なくとも、そのことを「間違っている」と糾弾することを恐れる必要はない。戦前まで、日本では公然と朝鮮人差別が行われていたし、アメリカでは当然のように日系人が迫害され、ほとんどの被差別者は差別的状況を甘受せざるをえなかった。差別されたまま亡くなっていった人たちの心情を思うと胸が痛む。現在では、少なくとも、当時より多くの人が、そういう差別は間違っていると認識している。この点では、昔より今のほうがより良い時代になっていると思えるし、ホロコーストの惨状を世界に知らしめたユダヤ人の功績はとても大きいと考えている。

 2004年7月30日、宮内庁は雅子様が適応障害であると発表した。巷では、うつ病との噂もあるが、いずれにしても雅子様が「心の病」にかかっているということは間違いなさそうだ。(私は、天皇制が嫌いなので、以前は、皇族には敬称を付けずに呼んでいたが、今は敬称を付けている。敬称を付けずに、「美智子」とか「雅子」と言っても、話す相手が誰のことだか分からないので、あの人たちは苗字を持たない、あるいは失った代わりに、名前の延長として「陛下」とか「様」とかが付加されたと考えて、敬称を付けるようにしている。また、天皇制を良くないと思っていても、皇族の人たちを個人として嫌う理由は、少なくとも私にはないから、礼儀としても敬称を付けるべきだろう。)

 ハーバード大学を優等賞で卒業後、東大法学部に学士入学、在学中に外交官試験に合格して外交官になった雅子様。ワイドショーで見た、トレンチ・コートを着て、さっそうと歩く雅子様の姿が、私の記憶にはまだ鮮明に残っている。婚姻後は、少なくとも物質的には何不自由ない生活を送っていたはずだ。そういう人でも、何らかのストレスがきっかけで、心の病にかかってしまうことがあるということだ。

 心の病にかかるのは、周りが悪いからだとか、本人が弱いからだとか、遺伝に違いないとか、つい本人を貶めたり、家族を責めたりという偏見に満ちた行動をとりがちだ。だが、雅子様のような人でも、心の病にかかってしまうという事実から、心の病にかかった人への偏見がなくなればよいと思う。心の病は、不幸な状況に対する人間としての当然の反応の一つなのかもしれない。誰が悪いとか、何が悪いとか原因を突き止めるのも必要かもしれないが、その人が不幸にも病気にかかってしまったという現実を受け入れ、どうすればその人がよりよく生きられるかを考えるようにしたいものだ。

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ボロボロになりながらも No.2

1440年にドイツ王、1452年に神聖ローマ帝国皇帝となったハプスブルグ家のフリードリッヒ3世は、愚図でのろまで、しかも陰険な皇帝だったという。生前の不人気は著しく、死後は「神聖ローマ帝国の大愚図」とあだ名が付けられた。

しかし、そんな彼は、長生きしただけで色々な物を手に入れる。1439年にドイツ王で神聖ローマ帝国皇帝だったアルプレヒト2世が急死すると、嫡子が彼の死後に生まれたラディラス1人しかいなかったため、アルプレヒト2世のいとこだったフリードリッヒ3世があとを継ぐ。

ラディラスは17歳で死んでしまい、オーストリアはフリードリッヒ3世のものになる。ところが、1463年、元服したフリードリッヒ3世の弟アルプレヒトから、所領の分割を要求され、フリードリッヒ3世はウィーンを逃亡しする。しかし、そのアルプレヒトはガンで死んでしまったので、フリードリッヒ3世は再びウィーンに戻る。

1485年、今度はハンガリー王マーチャーシュ・コルヴィヌスにウィーンを占領されるが、1490年にコルヴィヌスが嫡子を残さず死んでしまい、フリードリッヒ3世はウィーンに戻る。

1959年にフリードリッヒ3世が授かった息子マクシミリアンは、「中世最後の騎士」と呼ばれるほど武勇に秀で、おおらかで潔かった。1477年、マクシミリアンはブルゴーニュ公国の君主の一人娘マリーと結婚し、1482年、マリーが死ぬと、ネーデルランド諸邦(現オランダとベルギー)を手に入れる。

フリードリッヒ3世は、自分はこれといった業績も残さず、評判の悪い王様であったけれど、立派な息子に恵まれ、その息子が結婚によって領地を拡大するのを確認し、1493年に亡くなるまで神聖ローマ帝国皇帝だった。

ただ生きていくという生き方にもポジティブな面があるということだ。

参考文献 菊池良生著「神聖ローマ帝国」

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ボロボロになりながらも

オリンピックの新体操団体で優勝したロシアチーム。神業かと思うような高度なテクニックと素晴らしい表現力に感動した。日本で事前の調整をしていたという同チームのメンバーについて、日本の解説者が、「ケガをしたりで体がボロボロ」だと言っていた。優勝が期待され、精神的にも極度に緊張していたに違いない。体も心もボロボロになりながら、グッと堪えて笑顔で演技をする選手たち。

9月1日、突然、辞任表明した福田首相。首相という仕事は、われわれ一般人からは想像がつかないくらい激務なんだろう。きっと、心身ともにボロボロになっていたに違いない。あそこで辞めなければ、自殺していたんじゃないかな、などと思う。

私は、最近、疲労で心身ともにボロボロの感がある。1日に何度も「仕事を辞めたい」と思う。新しいことに挑戦したり、レクリエーションに興じたりすれば、気分転換になるかもしれないが、そのエネルギーも残っていない。貯金もわずかだし、他の仕事のあてもないので、仕事を辞めるわけにもいかない。だから、今は、日々、堪えているだけ。

でも、そういう生き方もあっていいんじゃないかと思う。幸せでもないし、うれしいこともない。むしろ、心配や苦労ばかりが多い。特別やりたいことがあるわけでもない。毎日、朝起きて、ご飯を食べて、仕事して、家に帰って、またご飯を食べて、寝ることの繰り返し。でも、そうやって、なるがままに任せる生き方があってもいいんじゃないって、最近思っている。

植島啓司著「偶然のチカラ」 困ったときに、何もしないという選択もある、ということを教えてくれる本です。http://www.amazon.co.jp/%E5%81%B6%E7%84%B6%E3%81%AE%E3%83%81%E3%82%AB%E3%83%A9-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-412C/dp/408720412X/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1220783245&sr=8-1

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唐辛子とトウモロコシはどっちが偉い?

 赤いカウボーイハットをかぶった若者が、群集に向かって「ホットペッパー」と叫びながら、赤っぽい表紙の冊子をただで通行人に配っている。中身の半分以上が、食べ物屋の宣伝と割引クーポンだ。

 外国のジャングルの木をどっさり切って紙を作って、それを使って割引クーポンだらけの冊子を何百万部も刷って、若者たちが街でそれを通行人に手渡して、通行人は割引クーポンを使ってどっさりと料理を注文して、これ以上食べられないくらいたらふく食べて、それでも余った食べ物が捨てられて、それを食べたカラスはどんどん増えて、エサが足りなくなったときはツバメの幼鳥を食べて、それでも食べ物屋は儲かって、あるいはそうしなければ儲からなくて、赤っぽい冊子に宣伝と割引クーポンを載せてもらうためのお金を払って、アメリカでホルモンを打たれて普通より速く成長させられて、あっという間に殺されてしまう牛の肉を買って、中国で農薬の危険性を知らない農民がどんどん農薬を撒いて育てた野菜を買って、客に割引クーポンを使われても儲かる大盛りのメニューを工夫して、赤っぽい表紙の冊子はどんどん厚くなって・・・。

 T社やN社は、たくさんの車を速く作るためにいろいろと工夫をして、世界で毎年何百万台も車を売って、政府は車を走らせるために、地面をアスファルトで塗りつぶして道路を作って、道路を作ると儲かる人たちも道路を作って、アスファルトは太陽熱をどんどん吸って熱いフライパンのようにギラギラ輝いて、私たちは暑くて外に出られなくなってクーラーを付けて部屋に閉じこもって、暑くて歩けなくてなって車に乗ってアスファルトの上を移動して、T社やN社は、もっと多く車を売るためにいろいろと工夫して、車やクーラーを動かすためにもっともっと石油が必要になって、それを見越した世界の欲張りなお金持ちが石油を買い占めて、石油の値段はどんどん上がって、T社やN社はトウモロコシの燃料で走る車を作り始めて、外国では木を切った後の空き地にはとうもろこしが植えられて、野菜や小麦の替わりにトウモロコシが植えられて、トウモロコシは牛のエサより車の燃料になって、野菜や小麦や牛肉は少なくなって値段がどんどん上がって・・・。

 野菜や小麦や牛肉の値段が上がって、食べ物屋は安くて大盛りのメニューが出せなくなって、赤っぽい表紙の冊子に割引クーポンや宣伝を出すお金も払えなくなって、やがて赤っぽい表紙の冊子は薄っぺらくなって、通行人に冊子を配る赤いカウボーイハットをかぶった若者もどんどん少なくなって、ゴミは徐々に減ってきて、カラスもだんだんいなくなって、ツバメの幼鳥は無事に育つようになって、熱いフライパンのようなアスファルトの上にはトウモロコシの燃料で走る車が走っていて・・・。

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私は欲張りだ

 私は元来欲張りな性格だ。

 あれもほしい、これもしたい。ほしい物や、やりたいことが次々と思い浮かんでくる。

 今、個人的にやりたいことは、

○ 5巻の途中まで読みかけた「紅楼夢」や、10冊以上買い込んだ本を読破すること

○ 買いだめしたクラシックのCDを聴き、外国コメディのDVDを見ること

○ フランス語とスペイン語を、日常会話が出来る程度までマスターすること

○ ブログを少なくとも1週間に1度は更新すること

○ 1週間に2回は体を動かすこと

○ 日本の田舎を旅行すること

○ まだ行ったことがない外国の地を訪ねること

○ 法律家のための文章の書き方についての本を書くこと

○ 新しい友人を作ること

○ ゴルフの練習を再開すること

 残念ながら、私の能力では、これらすべてをすぐにやることは出来ない。

 これに、弁護士として手持ち数十件の事件処理と、法律書の共同執筆の原稿書きと、ロースクールでのゲスト講師としての準備と、週末の家事が加わる。事件処理や原稿書きなどは、先延ばしにすると他人に迷惑をかけてしまうから、先延ばしにすることはできない。週末の家事は、1度怠ると、2週間は掃除も洗濯もしないことになるから、荒れ放題の家の中で、出かけようと思っても洗ってあるブラウスが見つからないという破目に陥ることになる。したがって、これも先延ばしすることは難しい。もともと潔癖症で、くたびれた服や磨かれていな靴を身につけて出かけるのは嫌なほうだ。それに、いつか読んだアメリカ人弁護士が弁護士のために書いたハウツー本の中に、「弁護士は依頼人よりワンレベルだけフォーマルな服装をすること」と書いてあったのを読んでから、服装には気を付けるようにしている。衣服の手入れができないのに綺麗な格好をしようと思うと、自然と服や靴の数が増えていく。数が多ければそれほど頻繁に洗濯したり、靴を磨いたりしなくて済むからだ。決してファッション・コンシャスだからではない。その証拠に、仕事のない日は、たいがいジャージの上下を着て1日を過ごしている。寝るときはジャージを着て寝て、起きるとジャージに着替えるから、休みの日には、家族から「着替えたんだか着替えていないんだかわからない」とよく言われた。

 たまに、自分がやろうと思ったことの半分も達成できていないことに気がついて、悲しく、惨めな気持ちになることがある。そんなとき私は、誰に向かって言うでもなく、「弁護士になっただけでもいいじゃない。許して下さい。私にはこれ以上できません」と心の中で叫んでいる。誰も私に、早く本を読めだの、旅行に行けだの、本を執筆しろだのと命令しているわけではない。私に命令しているのは、他ならぬこの私自身なのだ。私は欲張ることによって、自分自身を追い詰め、苦しめている。しかし、欲張りな性格は直らない。

 会議中でも、散歩をしていても、次々とほしい物ややりたいことが頭に浮かんでくる。まるで、破裂した水道管からあふれ出る水のように。ああ、誰かこの破れた水道管を修繕して下さい! そうすれば、ゆっくり本を読んだり、DVDを見たり、ゴフルの練習をしたり、旅行に行ったり、本を執筆したり出来るから。

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サブプライムローン

 サブプライムローン問題で、世界の大手金融機関が軒並み大規模な損失を出し、連鎖的に株価の下落が進んで、世界恐慌の引き金になるかもしれない、とばかりニュースは伝える。サブプライムローンは、もともとアメリカで信用力の低い低所得者層を対象にした金利の高い住宅ローンだ。そして、その人たちのローン返済が滞ったのが事の発端だ。低所得者層向けということで、最初の数年間は金利を低くしたり、金利だけの返済にするなど返済負担を軽減した場合もあったようだ。強引な貸付が行われたり、高い手数料を取られた例もあると聞いている。せっかく手に入れた夢のマイホームを、ローンが払えなくなって手放さなければならなくなった人たちはどんな思いをしているだろう。

 とりあえず今使わなくてもよいお金で株式を買って株価が下がって大損をした人と、ローンが支払えなくなって家を出ていかなければならない人とを単純に比べてみると、後者のほうが大変だと思う。サブプライムローンの貸し手(金融機関だけでなく、証券化されたものを買った人)は、低所得者がその少ない所得の中から、何十年もかけてせっせと高い金利を払ってくれれば、「儲かった、儲かった」とウハウハするつもりだったのだろうか。これでは、まるで、低所得者に家を与えて、それと引き換えに奴隷労働を強いるようなものではないか。こんな儲け話がいつまでも上手くいくはずがないではないか、と思ってしまう。

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児童虐待防止 森田ゆりさん

朝、テレビをつけると、ワイドショーで児童虐待を取り上げていた。物知り顔をしたコメンテーターたちが、「まったく困ったもんだ」とか、「子どもを虐待するなんてひどい、考えられない」とか、次々に顔をしかめる程度のコメントをする。こうやってテレビは、貴重な公共の電波を使用して、ほとんど役に立たない情報を流している。

森田ゆりさんという人がいる。1981年から、アメリカと日本で、子どもや女性への虐待防止のための専門職の養成にかかわってきた人だ。カリフォルニア大学の主任研究員として、多様性、人種差別、性差別など人権問題の研修プログラムの開発と大学教職員の指導をしたという経歴を持つ。

CAPやMY TREEといった児童虐待防止のためのプログラムの指導者の養成を通して、全国各地に心棒者も多い。森田さんが主宰するエンパワメント・センターでは、さまざまな研修を開催している。私も数年前、「多様性・人権啓発トレーニング」という3日間の研修を受けるため、宝塚まで行った。弁護士会における性差別をなくすための方法を模索している最中だった。研修は、ゲームやグループ・ディスカッションなどが中心で、休み時間にはコーヒーやお菓子を摘むというアメリカン・スタイルだった。上から何かを教えられるというのではなく、他者とのコミュニケーションを通じて、自分自身の偏見や差別に気付いていくプロセスの中で、いろいろなことを学んだ。たくさんの人と知り合い、思いきり語り合い、宝塚歌劇団の公演も観て、とても有意義な時間を過ごした。それから2、3年後、森田さんに弁護士会に来てもらって、セミナーを開いた。とても好評だった。森田さんに興味がある方は、エンパワメント・センターのサイトをのぞいてみて下さい。http://www.geocities.jp/empowerment9center/

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ロシア人団体観光客

 少し前の話で恐縮だが、今年の元旦は苗場プリンスホテルで迎えた。スキーは下手の横好きで何度も言っているが、苗場プリンスホテルに行くのは初めて。

 驚いたのは、ロシア人団体さんが大勢来ていたことだった。まさかモスクワから来たのではあるまい。と思って調べてみると、極東ロシアにあるハバロフスク、ウラジオストックと新潟の間には、それぞれ直行便がある。この人たちは、きっとそのあたりに住んでいる人たちに違いない。ロシアは原油高で好景気だと聞いていたが、日本まで団体のスキー客が来ているとは予想していなかったので、少々驚いた。ウラジオストックの1月の平均気温は-13度、ハバロフスクの冬の平均気温は-25度前後というから、彼らにすれば新潟はかなり暖かく感じるはずだ。しかも設備の整ったスキー場に隣接したレストランやプールつきのホテルで過ごすのは快適なことだろう。

 15年ほど前、ギリシャ旅行の途中にモスクワに立ち寄ったことがある。入刻審査官は軍服を着た金髪の青年だった。彼はしきりに、「ブーブルグーム? ブーブルグーム?」と言うのだが、私は意味がわからずポカンとしていた。すると、彼は手を口に持っていって、何かを口の中に放り込む仕草をした後、口をクチャクチャ動かして見せた。「ああ、チューインガムを持っていないかということか」と判ったので、「持っていない」と言うと、空港の売店で買ってこいと言う。私が断ると、彼はひどく不機嫌になって、私をケチだと詰った後、入国させてくれた。

 空港で客待ちしていたタクシーを見つけて、運転手に英語で、「市内観光に連れて行ってくれ」と言うと、笑顔で応じてくれた。市内に向かう途中の荒野の真ん中のような所で、車が、突然、停止した。すると、どこからともなく若者が2人近寄ってきた。当時のロシアはソビエト連邦崩壊から日が浅く、経済状態が芳しくなかった。まさか追剥では?と恐くなったが、運転手は車にガソリンを入れるのだと言う。見ると若者のうち1人がプラスチックの灯油入れのようなののを手にしている。ガソリンはガソリンスタンドで買うものだとばかり思っていた私は、とても驚いた。

 タクシーの窓から、広大な土地に、巨大な高層アパートが何棟も整然と立ち並んでいるのが見える。新聞の投書欄にロシアからの留学生が日本の町並みの汚さに驚いたと書いていたのを思い出して、改めて納得した。クレムリンで写真撮影をしたり、赤の広場で衛兵の交代を見たり、土産物屋に立ち寄ったりした。感心したのは、ロシアには美男美女が多いことであった。特に、スタイルが良い人が多いのと、決して裕福そうではないが服の色の組み合わせや小物使いなど女性がおしゃれなこと、そして短時間であったにもかかわらず、本当に吸い込まれそうな紺碧の瞳をした人に何人か出会ったことが印象に残った。観光している間、運転手がしきりにお腹が空いていないか聞いてきた。モスクワにマクドナルドの第1号店ができたばかりなので、そこに言って一緒に食べないかと誘うのである。私は、一緒に食べるのもよいが、それなら伝統的なロシア料理がよいと言うと、運転手はまったく興味を示さなかった。ホテルに向かう途中、彼が住んでいるというアパートの前に立ち寄って、彼が住んでいる場所を指差して見せてくれたのはご愛嬌だった。

 夕方近くなって、ホテルに着いた。市の中心から少し外れた、白樺林が点在する場所にあり、木造のアパートに囲まれたこじんまりした中層の建物だった。ロビーには脱色剤で髪をプラチナ・ブロンドにした若い情勢が数人、所在なげにテレビを見ていた。私がホテルに入ってくるドアの音に気づいて、テレビから目を逸らしてチラリとこちらを見たが、客が女性だと判ったためか、すぐに視線をテレビに戻した。フロントでパスポートを見せると、職員が「あなたをここに泊めるわけにはいかない。ここはトランジット客専用のホテルだから、ビザを持っている人は泊まれない」と言う。私は、どうせモスクワに1泊するなら、市内観光をしたいと思ってビザを取っていたので、パスポートにその刻印が押してある。「それでは、私はどこに泊まればいいのか?」と尋ねると、職員は、そっけなく、「知らない」と答えるだけだ。電話を借りて航空会社に電話をかけて事情を話し、どこに泊まればよいのか聞いてみたが、「私の担当ではない」とあっさり一蹴されてしまった。ちょうどそのとき、空港からトランジット客を乗せたバスが到着した。私は、客が降りた後、バスの前にいた航空会社のブレザーを着た女性に事情を話し、どこか泊まれるホテルに連れて行ってくれと頼むと、金を寄こせといわれた。私が断ると、それではどこにも連れて行けないと言う。私は、彼女の言葉を無視してバスに乗り込み、運転席を通り過ぎて座席に座り、「宿泊代は航空運賃に含まれているのだから、泊まれるホテルに連れて行け。連れて行くまでバスから降りない」と言って平静を装った。すると、彼女も運転手も仕方ないという様子で、私を乗せたままバスは出発した。バスは、市の中心部に近い、賑やかで、大きなホテルが立ち並ぶ地区に走っていき、そのうちの1つのホテルの前で停まると、ブレザーの女性が、私が泊まるホテルはここだと言う。

 ようやく停まるホテルが見つかった。しかも、先ほどのホテルより見栄えが数段よい。鍵を受け取って部屋に行き、ドアを開けようとするが、鍵が開かない。鍵を鍵穴に差し込んだまま、左右に回したり、ドアを押したり、四苦八苦していると、その様子を見ていたアフリカの民族衣装を着た黒人青年がやってきて、鍵を一方向に何度も回転させるとドアが開いた。ここは、ロシアの友好国からの訪問者が泊まる国際的なホテルに違いない、と勝手に思った。バスルームには、石鹸もなく、古びた小さなタオルが2つ置いてあるだけ。しかも、柄がそろっていない。1日くらい石鹸を使わなくても死にはしないから気にしない。それより、入国以来何も口にしていなかったので、早速、ロビーにおりて、レストランの場所を尋ねた。職員が指差す方向に廊下を歩いていくと、だんだんと照明が暗くなっていく。天井を見上げると、照明器具はあるものの、物不足のせいか節電のためか、電球ソケットには5つに1つくらいの割合でしか電球が入っていない。しまいには真っ暗な場所を通り抜けてやっとレストランに到着した。メニューは、ひどく痩せた鳥もものソテーと粗末なパンの1種類だけ。席についてしばらくすると、長身の青年がやってきて、一緒に食べてもよいかと聞くので、承諾した。彼は、アルメニア出身のクリスチャンだと自己紹介し、しきりに中東情勢のことを話した。お恥ずかしい話だが、私はそれまで、アルメニアが中東地域にあることも、世界で最初にキリスト教を公的に受容した国であることも知らなかった。この夜、この青年と夕食を共にしていなければ、未だに知らなかったかもしれない。知らない場所に旅をするというのは、右往左往するハプニングも含めて、いろいろな経験ができて本当に面白い。翌朝、私は、無事、アテネ行きの飛行機に乗ることができた。

 私にとって、これが唯一のロシア体験だから、日本に来ているロシア人の団体観光客を見て、非常に対照的で鮮烈な印象を持ったのだ。ところで、ロシアに行ってから15年の間に、私は文学、音楽、絵画などの芸術を通じて、ロシア人やスラブ民族に深い興味を抱くようになった。正直言って、冷戦時代は、「アメリカ人は温かくて良い人、ソビエト人は冷たくて悪い人」というひどく単純化された印象が強かったが、今は、スラブ民族には個人として自由人で、美意識に長けている人が多いのではないかと感じている。まだまだ、ロシア人やスラブ民族に関する知識は浅いが、だからこそ、もっと知りたい、という欲求が湧いてくる。

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