少し前の話で恐縮だが、今年の元旦は苗場プリンスホテルで迎えた。スキーは下手の横好きで何度も言っているが、苗場プリンスホテルに行くのは初めて。
驚いたのは、ロシア人団体さんが大勢来ていたことだった。まさかモスクワから来たのではあるまい。と思って調べてみると、極東ロシアにあるハバロフスク、ウラジオストックと新潟の間には、それぞれ直行便がある。この人たちは、きっとそのあたりに住んでいる人たちに違いない。ロシアは原油高で好景気だと聞いていたが、日本まで団体のスキー客が来ているとは予想していなかったので、少々驚いた。ウラジオストックの1月の平均気温は-13度、ハバロフスクの冬の平均気温は-25度前後というから、彼らにすれば新潟はかなり暖かく感じるはずだ。しかも設備の整ったスキー場に隣接したレストランやプールつきのホテルで過ごすのは快適なことだろう。
15年ほど前、ギリシャ旅行の途中にモスクワに立ち寄ったことがある。入刻審査官は軍服を着た金髪の青年だった。彼はしきりに、「ブーブルグーム? ブーブルグーム?」と言うのだが、私は意味がわからずポカンとしていた。すると、彼は手を口に持っていって、何かを口の中に放り込む仕草をした後、口をクチャクチャ動かして見せた。「ああ、チューインガムを持っていないかということか」と判ったので、「持っていない」と言うと、空港の売店で買ってこいと言う。私が断ると、彼はひどく不機嫌になって、私をケチだと詰った後、入国させてくれた。
空港で客待ちしていたタクシーを見つけて、運転手に英語で、「市内観光に連れて行ってくれ」と言うと、笑顔で応じてくれた。市内に向かう途中の荒野の真ん中のような所で、車が、突然、停止した。すると、どこからともなく若者が2人近寄ってきた。当時のロシアはソビエト連邦崩壊から日が浅く、経済状態が芳しくなかった。まさか追剥では?と恐くなったが、運転手は車にガソリンを入れるのだと言う。見ると若者のうち1人がプラスチックの灯油入れのようなののを手にしている。ガソリンはガソリンスタンドで買うものだとばかり思っていた私は、とても驚いた。
タクシーの窓から、広大な土地に、巨大な高層アパートが何棟も整然と立ち並んでいるのが見える。新聞の投書欄にロシアからの留学生が日本の町並みの汚さに驚いたと書いていたのを思い出して、改めて納得した。クレムリンで写真撮影をしたり、赤の広場で衛兵の交代を見たり、土産物屋に立ち寄ったりした。感心したのは、ロシアには美男美女が多いことであった。特に、スタイルが良い人が多いのと、決して裕福そうではないが服の色の組み合わせや小物使いなど女性がおしゃれなこと、そして短時間であったにもかかわらず、本当に吸い込まれそうな紺碧の瞳をした人に何人か出会ったことが印象に残った。観光している間、運転手がしきりにお腹が空いていないか聞いてきた。モスクワにマクドナルドの第1号店ができたばかりなので、そこに言って一緒に食べないかと誘うのである。私は、一緒に食べるのもよいが、それなら伝統的なロシア料理がよいと言うと、運転手はまったく興味を示さなかった。ホテルに向かう途中、彼が住んでいるというアパートの前に立ち寄って、彼が住んでいる場所を指差して見せてくれたのはご愛嬌だった。
夕方近くなって、ホテルに着いた。市の中心から少し外れた、白樺林が点在する場所にあり、木造のアパートに囲まれたこじんまりした中層の建物だった。ロビーには脱色剤で髪をプラチナ・ブロンドにした若い情勢が数人、所在なげにテレビを見ていた。私がホテルに入ってくるドアの音に気づいて、テレビから目を逸らしてチラリとこちらを見たが、客が女性だと判ったためか、すぐに視線をテレビに戻した。フロントでパスポートを見せると、職員が「あなたをここに泊めるわけにはいかない。ここはトランジット客専用のホテルだから、ビザを持っている人は泊まれない」と言う。私は、どうせモスクワに1泊するなら、市内観光をしたいと思ってビザを取っていたので、パスポートにその刻印が押してある。「それでは、私はどこに泊まればいいのか?」と尋ねると、職員は、そっけなく、「知らない」と答えるだけだ。電話を借りて航空会社に電話をかけて事情を話し、どこに泊まればよいのか聞いてみたが、「私の担当ではない」とあっさり一蹴されてしまった。ちょうどそのとき、空港からトランジット客を乗せたバスが到着した。私は、客が降りた後、バスの前にいた航空会社のブレザーを着た女性に事情を話し、どこか泊まれるホテルに連れて行ってくれと頼むと、金を寄こせといわれた。私が断ると、それではどこにも連れて行けないと言う。私は、彼女の言葉を無視してバスに乗り込み、運転席を通り過ぎて座席に座り、「宿泊代は航空運賃に含まれているのだから、泊まれるホテルに連れて行け。連れて行くまでバスから降りない」と言って平静を装った。すると、彼女も運転手も仕方ないという様子で、私を乗せたままバスは出発した。バスは、市の中心部に近い、賑やかで、大きなホテルが立ち並ぶ地区に走っていき、そのうちの1つのホテルの前で停まると、ブレザーの女性が、私が泊まるホテルはここだと言う。
ようやく停まるホテルが見つかった。しかも、先ほどのホテルより見栄えが数段よい。鍵を受け取って部屋に行き、ドアを開けようとするが、鍵が開かない。鍵を鍵穴に差し込んだまま、左右に回したり、ドアを押したり、四苦八苦していると、その様子を見ていたアフリカの民族衣装を着た黒人青年がやってきて、鍵を一方向に何度も回転させるとドアが開いた。ここは、ロシアの友好国からの訪問者が泊まる国際的なホテルに違いない、と勝手に思った。バスルームには、石鹸もなく、古びた小さなタオルが2つ置いてあるだけ。しかも、柄がそろっていない。1日くらい石鹸を使わなくても死にはしないから気にしない。それより、入国以来何も口にしていなかったので、早速、ロビーにおりて、レストランの場所を尋ねた。職員が指差す方向に廊下を歩いていくと、だんだんと照明が暗くなっていく。天井を見上げると、照明器具はあるものの、物不足のせいか節電のためか、電球ソケットには5つに1つくらいの割合でしか電球が入っていない。しまいには真っ暗な場所を通り抜けてやっとレストランに到着した。メニューは、ひどく痩せた鳥もものソテーと粗末なパンの1種類だけ。席についてしばらくすると、長身の青年がやってきて、一緒に食べてもよいかと聞くので、承諾した。彼は、アルメニア出身のクリスチャンだと自己紹介し、しきりに中東情勢のことを話した。お恥ずかしい話だが、私はそれまで、アルメニアが中東地域にあることも、世界で最初にキリスト教を公的に受容した国であることも知らなかった。この夜、この青年と夕食を共にしていなければ、未だに知らなかったかもしれない。知らない場所に旅をするというのは、右往左往するハプニングも含めて、いろいろな経験ができて本当に面白い。翌朝、私は、無事、アテネ行きの飛行機に乗ることができた。
私にとって、これが唯一のロシア体験だから、日本に来ているロシア人の団体観光客を見て、非常に対照的で鮮烈な印象を持ったのだ。ところで、ロシアに行ってから15年の間に、私は文学、音楽、絵画などの芸術を通じて、ロシア人やスラブ民族に深い興味を抱くようになった。正直言って、冷戦時代は、「アメリカ人は温かくて良い人、ソビエト人は冷たくて悪い人」というひどく単純化された印象が強かったが、今は、スラブ民族には個人として自由人で、美意識に長けている人が多いのではないかと感じている。まだまだ、ロシア人やスラブ民族に関する知識は浅いが、だからこそ、もっと知りたい、という欲求が湧いてくる。
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